私が物心ついた頃には、もう、親からの<勉強しなさい>攻撃は
始まっていて、<うるさいなぁー><したくない勉強をさせられている>
感で、いっぱいでした。
でも、今から思えば、<勉強しなさい>の前に
<自分が熱中できることや、興味のあることがないなら>という
一言が、常についていた気がします。
要は、才能の片鱗や、人生をかけたいほど没頭できるものがないなら
無難に勉強しろ、ということだったと思います。
さて、だったら、なぜ、勉強しないといけないのでしょうか?
教養として?なんらか日常生活に便利なことがあるから?なぜ?
と疑問に思い続けていたことに、あるとき、私なりに、ぴしゃっと
解釈のしやすい答えを得ることができました。
<今している勉強が、直接的に日常生活に役立つわけではないし、
仕事に結びつくわけでもない。じゃぁ、なぜ、勉強しないといけないのか?
入学試験に受かるために?それはな・・・・・・・・・
与えられた課題、使命を、どんなことをしても、最大限やりきる気力、
工夫、成果をみるためや。そういう訓練が、社会にでたときに発揮されるんや>
にゃるほど~~~~~~!!!
この答えは、すごいわかりやすく、響きました。
目の前に与えられた課題を、どれだけ、ちゃんとこなせるかの訓練は、
絶対に社会にでたときに、必要です。
そんなわけで、勉強する使命を帯びている学生諸君には、
親からの<勉強しなさい>には、自分の未来を切り開くための力をつけなさい、
という深い愛情をもった言葉と受け取って、是非とも、頑張って頂きたいのです。