<うっせぇわ>を聴いてみて

個人的には、大いに納得、という感じで、これを歌いたくなる人が、正常なんじゃない?と、思わず思ってしまいました。

 

子供が反抗的になるとネットにありますが、<権利と義務は、裏表だからさ、人にうっせぇわ、というなら、さっさと自分に力つけて自立すれば?>というだけで、<親の義務が、子供の扶養にあるなら、子供の義務は、家族としてのわきまえと、学業でしょう?ちゃんと家事手伝っているんか、家族への心遣いができているんか、そこまでの成績収めているんか?あぁん?>ということじゃないかと、思うのです。

うっせぇわ、と、自己主張するんだったら、自立して、うっせぇわと言ったことで、自分の身に跳ねかえってくることも、自分で抱えるべきでしょう。うっせぇわ、とだけ言って、それだけで済ませたいなんて、それは、単なる子供のわがままです。

 

心の中では歌っていいと思いますが、それを、どう表にだすかを工夫するのが、<人生を乗り切る術>と思いますね。

 

息子には、そういう考えが、我慢・我慢を強いる今の社会を正当化していておかしい、と、指摘されましたが・・・・、まずは、自分に力をつける。世の中に対抗するのは、それからです。大きな夢をみるまえに、足元をしっかりとゆるぎないものにする。一歩一歩確実に人生を歩むことを、ばかにしてはいけません。

 

自分を自分でしっかり支えるということは、ことのほか、難しいことです。