ほんとに、体罰の記事を読むたびに思うんですよね。
そこに、愛は、あるんか?
愛ではなく、支配欲であったり、自分の言ったことがうまくいかないことへのやつあたりだったり、それは、体罰でしょう。やってはいけないことです。
でもね、純粋な愛情、相手を思う気持ちから、思わず、手がでてしまう場合って、あると思うんですよね。
そういう手の出方であれば、もちろん、相手がけがをしたり、とんでもないことになることはなく、叩かれた痛み以上に、叩かれた本人に、<あぁ、申訳ないことをしてしまった>という、心の痛みも与えることになります。
子供のころ、読解力の問題を親と解いていたときに、
小さな子供が迷子になって、親が必死に必死に探して、そこに、子供が元気なままで親元にもどってきたときに、親が、<あほっ、心配かけて>と、いきなり叱ってぴしゃっと叩いた後に、<無事のもどってくれてよかった>と抱きしめて、泣き崩れた、という文がありました。
私の母が、この気持ち、すごくわかる、と、しみじみ言っていました。もう、ほっとして、うれしくて、安心して、でも、その安心した途端に、そこまでの思いが、すべてあふれてしまうんだ、ということでした。
毒親というけど、これに関しても、そこに愛はあるんか?と、思うんですよね。
親に叱られどおしの時には、子供にとったら、それが、親の理想を押し付けられているのか、親が心配してくれていろいろ言ってくるのか、わかりません。
でも、そんなもの、大人になれば、わかります。大人になった時に、毒親なのか、子供を思う愛情あふれる(溢れすぎる)親だったのか、わかります。
子供を叱るとき、子供に思わず手がでてしまったときに、自分に、<そこに愛はあるか?>と、問うことがとても大事と思います。