結果がすべては、<ダメ>である!

さて、社会にでると、<結果がすべて>という言葉をよく耳にするようにします。

さぼってても、要領かましでも、人にどう思われる行動をしようとも(犯罪レベルでなければ)<結果を出せることが正義>。

 

一時期は、わたしも、この思想にはまり、子供たちにまで、結果がだせるならさぼってもよいけど、結果がだせそうにないなら、そこにむかって努力せなあかんやろ!と、言っていました。

 

でも、本当に、結果がすべてなのかしら?

 

わたしは、社会にでるまで、親から言われていたのは、結果はどうでもいい、あとからついてくるもの。努力すること、頑張ったことこそ大事、と、育てられました。

 

だから、頑張ったのに、結果がでなかったことには、強く親が寄り添ってくれ、<ほんとに、頑張ってえらかった。結果は残念だけど、本当によくやった>と、結果がでなくても、高評価!むしろ、同情も加わり、成果がでたときよりも、優しく温かくちやほやしてもらった気がします。

 

だから、目標はある、結果もだしたい、でも、頑張ればいい、親ががんばってくれたことを認めてくれるような生活をすればよい、という、わりと、自分本位、かつ、甘い評価(親の評価ですからね)の中で育ってきました。

 

これは、社会にでたら、もう、頑張ってることなんてどうでもよくて、結果がだせない、と、ダメダメな人材として、非常に頭をうって痛い目にあいましたが、でも、子供の頃に、<がんばったことを高く評価してもらえる>環境で育ったことは、人からどれだけダメだしされようが、自分で自分を信じる心をもつことには、とてもよかったと思います。

 

頑張ったことを認めない、結果がでないと頑張ったことまでなかったことにされる世の中って、おかしくないですか?

おかしいでしょう?

そんななかで、頑張る気になれますか?

なれないでしょう?

 

頑張っても成果がでなかったときこそ、寄り添う。それが、人の道で、温かさではないかと思うんですが、どうでしょうか?

 

自分では、こどもたちにひどいことしたのかな、と、反省もしているのですが、どうも、子供たち、のびのび明るく育っているところをみると、私のいうことなんか、全然、気にしていなかったようです。