私の出身大学は、とても穏やかで自由な校風で
学生たちの自主性に任せてくれているにもかからず、学生たちは、自分たちでチームを組んで、誰一人こぼさずに国家試験に受かるぞ!という感じで
勉強のできる学生が、勉強のできない学生のことも同級生でも手厚く面倒をみてくれて・・・・
おしゃれな人も、そうでない人も、とんがっている人も、のんびりしている人も、1学年100人が、チームで
当時、わたしは、大学生活というのは、こんなにも温かく安らかなものなのか(勉強はそれなりしんどかったですけど)、いじめで死ななないでほしい、大学まできたら、そんな恐れはなくなるから、と、真剣に思っていました
それが、この少子化の嵐の中で、生き残りをかけて、えぇぇ?という変革の真っただ中で、もう、学生たちを試験で締め上げる、温情など一切無用(それを忖度なしのクリーンな判断というらしいですが)の進級判定、こんな大学を、母校として懐かしむことが将来彼らはできるのかと、とても悲しくなります
学生のときに、?な成績だったとしても、医者になってから、その使命感に目覚め、また、その人柄で患者さんから慕われることは、本当に、よくよくよく、めっちゃよくあることです
たった数点、たった1科目、たったというくらいならそれをとることも可能でしょう、というかもしれませんが、膨大な勉強量の中で、それは、まさに、ほんとに、全体量からみたら たった、だけど、学生からしたらどうしてもとれない、たった、なのかもしれません。
それで、留年、とか、高位学年になってから放校とか、どんな恐怖政治なん?とか、思ってしまう私は、もう、昔の人間なのでしょうか
医者にとって一番大事なのは、本当のところ、心、です
温かい心です
それを学ぶべき現場が、<えげつない>と思わせるような場で、どうするんだ、とか、思ってしまうんですよね
これからの大学の生き残り、経営、ほんと、いろいろなことがあるでしょう
でも、母校の変革に、驚きと、失望が隠せません
私は、超優秀な大学、などと言われなくても、人柄で医学界で信用を得ていた母校あってほしかったな、と、思わずにはいられません
でも、実際、受験偏差値うなぎ登りで、めっちゃむつかしくて入学できない大学とか、言われているんですよ
あぁぁぁ~~~、わたしが、あまっちょろいのか!

